国際IC日本協会設立50周年記念フォーラム開催

投稿日: 2025-11-01

 

 第47回IC国際フォーラム「和解と信頼の架け橋の半世紀 ~次世代に繋げる平和への道~」が10月26日と27日明治学院大学と衆議院議員会館で開催されました。国際IC日本協会設立50周年記念にあたり、その祝賀会も開催されました。

 国際IC日本協会は1975年に国際MRA日本協会として設立されました。初代会長に土光敏夫経団連会長(写真2)。副会長に加藤シヅエ元国会議員、千葉三郎衆議院議員、杉田一次元自衛隊陸幕長。顧問に十河信二元国鉄総裁。理事長に柳澤錬造石川島重工労組委員長などの役員体制でした。戦後の日本の国際社会復帰、アジアとの和解、労使関係改善などのMRA運動に関係した方々です。

 その後1984年に社団法人、2003年に国際IC日本協会と名称変更、2012年に公益社団法人となりました。

 1976年から産業人会議、小田原国際会議、IC国際フォーラムなどと名称を変えながら、今回第47回を迎えました。日米欧経済人円卓会議(コー円卓会議、CRT)や東北アジア青少年フォーラム(日中韓青年フォーラム)などにも参加してきました。

 2代目以降の会長は次の通りです。高瀬正二東芝専務(写真2)、住友義輝住友電工顧問、相馬雪香難民を助ける会会長、橋本徹みずほ銀行会長、矢野弘典元日本経団連専務理事、藤田幸久元財務副大臣。

 中曽根弘文国際IC推進議員連盟会長(元外務大臣、元文部大臣)は、以下のように述べました。

「国際ICとのご縁は、父の中曽根康弘元首相が1950年にMRAのスイスのコーの国際会議に出席したことです。国際MRA日本協会が社団法人の認可を受けた際、当時の中曽根康弘首相が「日本の国際社会復帰の「戦後の恩人」であったMRA」とメッセージで述べています。

またMRA/ICは戦後の日韓両国の和解に貢献しました。1957年にフィリピンのMRA会議に戦後初めて日本と韓国の国会議員が一緒に参加しました。この両国間の謝罪と和解が岸信介首相の政策転換を促し韓国政権との対話の道が開かれました。

1962年韓国の金鐘泌中央情報部長(後の首相)が、小田原のMRAアジアセンター開設式で来日し、太平正芳外相((後の首相)との、いわゆる「太平・金メモ」で合意し、これが3年後の日韓国交正常化への布石となりました。」

 李柱榮MRA/IC韓国本部総裁(元国会副議長)は以下のように述べました。

「韓国のMRA運動は、戦後青少年運動として展開され、民主化や産業先進化に貢献しました。私も高校時代にMRAクラブを創設しました。

 2014年の海洋水産省長官時、大型旅客船セウォル号が沈没した際、事故現場で被害者家族とともに遺体の収容にあたったところ、様々な立場の人から「これこそMRA/IC精神」と評価されました。

 今、韓国のMRA運動も新しい方向性が必要です。ロータリークラブやYMCAなどのように、地域に根差したMRA支援クラブを各地域での創設を目指します。

本年は、韓日国交正常化60年です。11月2日にソウルの国会議事堂で「日韓国交正常化60年記念 日韓MRA/ICフォーラム」を開催します。是非日本の方々の参加を歓迎いたします。」

 矢野弘典経済人コー円卓会議日本委員会会長(国際IC日本協会名誉会長)は、以下のように述べました。

 「私は1941年の太平洋戦争の年に生まれました。疎開先の水戸市が大空襲にあい、自宅が全焼し、母が子供達を守りながら川に逃げ、生き延びることができました。後に国際労働機関(ILO)会議で、日本軍から被害を受けたフィリピン政府の高官に会った際、自分の戦争中の体験を話すと、彼は、時間が救済してくれますね、と言われました。

 今後のIC活動に必要なことを述べます。1財政的に厳しい時こそICの原点に戻ることが重要です。自分自身を磨き、家庭、職場、地域で内なる声に耳を傾けることで導きが得られます。2世界的な人的ネットワークを広げて下さい。3身近から、身の丈に合った活動が重要です。関心を持つ若者を増やして下さい。そして才徳兼備のリーダーが必要です。」

吉田ゆかり航空自衛隊一等空佐から、自衛隊における女性・平和・安全保障といった視点からの体験談を伺いました。吉田さんは防衛大学校女子1期生で、現在航空自衛隊幹部学校教育部主任教官です。

 男性中心の職場で初の女性としての苦労やとまどいから、ジェンダーという世界の防衛組織、そして社会全体にとっての重要なテーマへの取り組みについての経験などを分かりやすく語って頂きました。

 それに続く「次世代に繋げる平和への道 あなたは国をどうやって守りますか?」というテーマでのグループ討論も含めた質問にも懇切に答えて頂きました。「これまでは他人ごとで、自衛隊など国の組織に頼りがちで済んだが、国民の立場でも国を守る姿勢と努力が必要である」との意見が多く出されました。それに対して、大学生の参加者から、「各国が軍事力を増強するのでは戦争を防げないのではないですか?むしろ私達自身の内面を高めることが重要ではないですか?」という本質論が提起され、深みのある議論が老若男女の間で交わされました。

 パレスチナ子供のキャンペーンの田中好子事務局長は700日を超えるガザの非人道的な生の状況を詳しく報告してくれました。海外からの人道援助に対する制約が多い中での「こどもの居場所支援」などのきめ細かな支援について報告してくださいました。

 有光健戦後補償ネットワーク世話人代表(早稲田大学国際和解学研究所招聘研究員)は、「戦後 80 年・残された戦争犠牲と歴史について考える」というテーマで講演しました。

 長年日本が解決を求められ続けて来た多くの戦後処理問題とは、各国の個人からの訴えであることを指摘しました。そして①冷戦構造の崩壊 ②各国の民主化 ③国際的な人権意識の発展 ④情報化社会の発達などに伴い、世界では、「人道的立場からの国家による個人補償」が続いていることを指摘しました。

 そして、過去の教訓・反省を継承し、現在まで続く犠牲者の痛みや傷への救済・軽減に努める責任や共感の必要性を述べました。

 岡本あんな共同通信グループNNA韓国編集記者は、日本での「IC国際フォーラム」と、韓国での「日韓MRA/ICフォーラム」の両方の企画、運営、日・韓両方の訪問者のアテンド、翻訳、通訳を担ってくれています。そのMRA/ICとの出逢い、韓国留学と赴任の決断、そして、日韓の架け橋役としての抱負などを語ってくれました。

 設立50周年記念祝賀会には橋本徹元みずほ銀行会長の他, 中曽根弘文国際IC推進議員連盟会長。森山浩行同事務局長、武正公一議員、羽田次郎議員、神津たけし議員、鳩山紀一郎議員も参加して下さいました。

 11月2日のソウルでの「日韓国交正常化60年記念 日韓MRA/ICフォーラム」の成功をお祈りいたします。